レゲエミュージシャンのチェホン(CHEHON)さん。
チェホンさんの代表曲には、「Life Goes On」や「Road to Zion」などがあります。
YouTubeでは1000万回以上再生された動画もあり、チェホンさんは有名なレゲエミュージシャンのお1人です。
そんなチェホンさんはどのような生い立ちなのでしょうか。
この記事では、チェホンさんの生い立ちをまとめました。
チェホンのプロフィール

チェホンさんのプロフィールはこちらになります。
- 名前:CHEHON(チェホン)
- 本名:李 宰洪(イ・チェホン)
- 日本名:米田 洪二
- 出身地:大阪府生野区
- 生年月日:1984年8月4日
- 年齢:39歳(2023年9月現在)
- 職業:レゲエミュージシャン
チェホンさんは、本名とは別に日本名もお持ちです。
本名は韓国のお名前ですが、チェホンさんは生まれも育ちも日本になります。
ということは、レゲエと出会ったのは日本ということになりますね。
いつどのような形でレゲエと出会ったのでしょうか。
チェホンさんとレゲエとの出会いなど、どんな生い立ちなのか気になりますね。
チェホンの生い立ちは?
チェホンさんのレゲエとの出会いを含め、生い立ちをまとめました。
幼少期は情報なし
↓
中学時代から音楽に興味を持ち始める
↓
高校時代にレゲエと出会う
↓
18、19歳の頃は実家の手伝いをしながらライブ活動
それでは1つずつ見ていきましょう。
幼少期は情報なし
チェホンさんの幼少期について調べましたが、情報はありませんでした。
ご両親は韓国人なので、チェホンさんは在日韓国人2世だと思われます。
ご兄弟はお姉さん、お兄さん、妹さんがいらっしゃるとのことです。
幼少期は4人兄弟で仲良く過ごされていたのではないでしょうか。
実家は大阪府生野区の鶴橋商店街に入っているキムチ屋さんの丸金商店です。
幼少期はご兄弟でご実家のお手伝いをされていたのかもしれませんね。
中学時代から音楽に興味を持ち始める
パンクやミクスチャーを聴きながらバンドの真似事をして過ごした中学時代
引用:タワーレコードオンライン
このようにインタビューで答えていたチェホンさん。
中学時代は音楽に興味を持ち、バンドの真似事をされていたそうです。
レゲエのイメージしかないので、チェホンさんのバンドの真似事がどんな感じだったのでしょうか。
写真や映像を探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。
レゲエではない音楽ジャンルに興味があったのは意外ですね。
高校時代にレゲエと出会う
チェホンさんは高校時代はクラブに出入りするようになったそうです。
クラブで流れていたレゲエを聞いてレゲエにハマっていったチェホンさん。
「連れがたまたまDJをやってて、そんで〈なんか俺もやりたいな〉って。で、ラバダブをやってる場所を探しては、そこで歌ってました。
引用:タワーレコードオンライン
お友達がDJをやっていたことがきっかけでレゲエと出会われたそうです。
高校時代はクラブに通ってDJのスキルを磨かれていったのですね。
高校時代にクラブに通われていたということは、もしかしたらあまり高校に通っていなかった可能性もあります。
高校時代の同級生。
引用:https://minkara.carview.co.jp/userid/245872/blog/27897237/
席順が前後で、定期テストの時はいつも答えを見せたったな・・・。
でも、元気でいてくれるんはやっぱ嬉しいですね。
昨日、久しぶりにTSUTAYAのレンタルコーナー言ったら、同級生がいました(笑)
CHEHON(チェホン)って名前でレゲエミュージシャンになってました。
このように書いてある個人のSNSがありました。
どこの高校かはわかりませんでしがた、チェホンさんはテストの時はお友達に助けてもらっていたようです。
高校よりもクラブを優先されていたのかもしれませんね。
18、19歳の頃は実家の手伝いをしながらライブ活動
チェホンさんは高校を卒業すると、実家の丸金商店の手伝いをしながらライブ活動をされています。
18歳、19歳の頃、有名になったきっかけである「みどり」が入ったデモCDを配っていた
レゲエミュージシャンとして有名になるため、就職せずご実家のお手伝いをしながらライブ活動をされていたのでしょう。
デモCDを配ったりとレゲエミュージシャンへの情熱が感じられますね。
努力の甲斐があって、22歳にはインディーズでミニアルバム「みどり」でCDデビューされています。
チェホンは韓国人だけど帰化してる?
チェホンさんは韓国人ですが、日本名があるので帰化しているのでしょうか?
国籍は韓国となっており帰化していません
チェホンさんは日本で生まれ育っていますが、帰化しておらず在日韓国人ということになります。
韓国籍ではありますが、日本で育ち日本人と同じ生活を送られてきています。
「米田 洪二」という日本名はありますが、ご本人は韓国人ということを隠すことなく公表されています。